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2020.10.01 

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【たたみの話】 地域で畳の大きさが違うのは徳川家康が原因?


日本の中で、地域によって畳の基準の大きさが違うのはご存知でしょうか?


これにも、面白い歴史があります。


先ず、長さの基準となるものに「1間(けん)」という長さの基準があります。この1間の長さが時代や地域によって違うのです。


平安時代の寝殿造りの頃は1間の長さは、8尺(約242㎝)とか7尺(約212㎝)でした。


織田信長の時代になると、当然貴族より身分が低いためもあって、1間の長さを6尺5寸(約197㎝)と決めました。この1間を基準に検地(けんち(地籍調査))をして年貢を取り立てることと、この1間を基準に家屋を建てる時の長さを決めました。


建築の場合、2間を基本として、4寸(約12㎝)柱の中心から相反する柱の中心までの距離を2間とします。柱の中心の位置を2寸(約6㎝)としてそれぞれの柱の中心からの寸法を差し引いた、柱の内法が12尺6寸(約382㎝)となります。そこに2枚のたたみを縦に並べると1枚の長さは6尺3寸(約191㎝)です。これが当初に作られた京間(関西間)の畳の長さになります。1間の長さを6尺5寸を基準に京都を中心とした近畿や関西地方は家屋を建て、そこに合う畳を造りました。




 

豊臣秀吉に時代になると、検地(けんち)によってより多くの年貢を取り立てるために、織田信長の1間の長さよりも2寸(約6㎝)短い6尺3寸(約195㎝)を1間としました。それによって年貢は多く獲得できたのでしょう。しかし、京の都や周辺の家屋の建て方はそれぞれの職人が織田信長時代の基準値を変えなかったために、それまでと変わることはありませんでした。


その後、将軍は徳川家康になり江戸に新しい街をつくりました。徳川家康は、豊臣秀吉よりさらに1間の長さを6尺(約182㎝)と短くしました。よって1枚の畳の長さは5尺8寸(約176㎝)となりました。これを江戸間(関東間)と呼ばれています。


このように当時の将軍が幕府への年貢を少しでも多く集めるために企てた政策が畳の大きさの違いとなったのです。人間味あふれる面白さがありますね。



 ● 京都を中心とした関西は 京間のたたみ     6尺3寸×3尺1寸5分 約191×95,5


 ● 東京を中心とした関東は 江戸間のたたみ    5尺8寸×2尺9寸   約176×88


    ●   これ以外にも、名古屋を中心として中京間があります。    6尺×3尺  約182×91


                 因みに、畳の巾は、丈寸法の半分になります。


 



 

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