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2020.09.15 

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【たたみの話】 日本人が藺草(いぐさ)を選んだ理由 

古事記などに登場する畳には、菅(すが・植物の一種)、皮(動物の皮)、絹(織物)など様々なものを素材として使われていました。しかし日本人が最終的に選んだのが藺草であったのです。


藺草の原産は東南アジアであると云われていますが、東南アジアのイ草は芯が固く短いのが特徴です。それに対して、東南アジアより温暖な気候の日本で育った藺草は細く長く成長しています。東南アジアの藺草での織物は多く見られませんが、日本では弥生時代にすでに存在し、福岡県の遺構から発見されています。これは藺草を麻糸で機織りしたもので、これは身分の高い人が亡くなられた時に、甕棺墓の中で遺体を包むものに使われたようです。亡くなった人を清潔感と薫り高い草に包んで葬るのは、日本人の優しさの表れかもしれません。


実は藺草を選んだはじめの話として、この様な伝説があります。


神功(じんぐう)皇后が三韓征伐から帰還する途中、船を吉備中洲松浦涯の二子山高鳥居の地に寄せ、その水辺に群生している野草の美しさに感心しました。そして、その野草を刈り取り「座」をつくるように命じました。物部浦人なる者がこれを編んで献上したところ、皇后は大いに喜び、以後はこの野草を材料として蓆(むしろ)をつくるようにとの勅諚(ちょくじょう)を下しました。実はその野草が藺で、藺草で編んだ蓆を皇后の座としたことから、以後、藺蓆を「御座(ござ)」と呼ぶようになったという説があります。


神功皇后は、仲哀天皇の皇后ですから今から約1800年前の弥生時代の頃になります。また場所は現在の岡山県倉敷市になります。当時、この地域は一帯が大小の島々が点在する海だったようです。その水際に自生していた藺草を見つけたのでしょう。また、ここで蓆を作った人は「物部浦人」と呼ばれる渡来人のようです。藺草の機織りは古来より絹織物の機織りの技術を持った渡来人物部氏の知恵で考案されたように伺えます。


奈良時代になって、天皇だけの畳として造られたのが、真菰(まこも)を編んで作った芯材の表面に藺草の筵(むしろ)を被せるものでした。これが現在の厚みのある畳の始まりです。


最近に解ったことですが、藺草は香りや肌触りが良いだけでなく、室内の空気を浄化する働きがあります。また梅雨などの季節には湿度を吸収し、乾燥期に吐き出すという自然の空調作用の働きがあります。エアコンや空気清浄器の働きと同じです。


日本には、すでに古くから気候に合った自然のエアコン・空気清浄器を日本人が家の中に納めていたのです。




 

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